2019-01-01から1年間の記事一覧

老いの些末記=寒気への重装備

窓を閉め切り、ヒーターの温度を「高」に設定しても足元が寒い。私はこれまで寒冷期は膝サポーターのみで凌いできた。若い頃の自己流ジョギングで膝を傷めてからは寒冷期になるとズキズキ傷むからである。 しかし、後期高齢者入りをすると膝サポーターだけで…

後期高齢者を生きる=カフェ二態

先日暑さに耐えきれず、一休みを兼ねて読書でもと日本橋のカフェチェーン店に入り、なんとか空席を見つけて腰を落ち着けた。 ところが、5分もしないうちに右隣の中年女性二人の周囲を憚らない早口・大声のお喋りに気がつき、慌てて空席を探したが見つからな…

後期高齢者を生きる=今日が最後の真夏日であってほしい!

9月も既に17日なのに今日の予想最高気温は30℃、 明日の予想最高気温は21℃に急降下して、その後は26℃~22℃の間が続く。 あー、今日が最後の真夏日であって欲しい。 ちなみに私の夏の基準は、真夏日=30℃~33℃。酷暑日=34℃以上。 今年の夏は…

後期高齢者を生きる=ヘバーデン結節とガングリオン

ある日の友人とのメールのやりとり。 (私):このところ携帯メールを多用しすぎたか左親指腱鞘炎です。 で、携帯メールは当分やめますね。 それでなくても高齢者は関節を痛めやすいのに 自信過剰でした (友人):お大事にしてください。 ついつい、直ぐに…

後期高齢者を生きる=スマホ・アプリのシルバー特典

近所にあるコーヒーチェーン店を長い間愛用してきた。当初は小銭を準備する煩わしさから解放されるプリペイドカードの便利さと、そのカードの入金時や珈琲注文時にポイントがつくお得感が魅力だった。 ところがある時期から、自己申告ながら、60歳以上の顧…

後期高齢者を生きる=回想(8)サッチャー首相の民営化株

1979年に誕生した英国のマーガレット・サッチャーを首班とする保守党政権は、それまで続いた高福祉の社会保障政策の維持とそれに伴う社会保障支出の拡大を掲げ、政府部門の経済を削減する為に国営の水道、電気、ガス、通信、鉄道などの事業の民営化を打…

後期高齢者を生きる=回想(7)私の日本株売買メモ(1984~1992)から

次の画像は昭和59年(1984)10月の株式投資デビューから平成4年(1992)までに私が売買した日本株58社の記録です(元号表記)。 当時はエクセルどころか1996年にWindows搭載PCが登場する前なので、証券会社から渡された取引報告書を見…

後期高齢者を生きる=回想(6)株式投資デビューはバブルに向かって

私の株式投資デビューは昭和59年(1984)10月30日に三菱重工株を@229円で千株買って翌年6月27日に@328円で売却して税・手数料を差し引いて9万円の売買益を得、さらに、同じ日に@229円で千株買った昭和電工株を2年後の6月1日に…

後期高齢者を生きる=回想(5)「66 Ways to Save Money」とサブプライムローン危機

アメリカ国民は総じて先に楽しんで後で支払うというマインドが強く、サブプライムローン危機までは低貯蓄率と借金依存体質が指摘されていたが、2006年6月13日の日本経済新聞ではそれを裏付けるようにアメリカ人の借金依存度が深まっている状況を報じ…

後期高齢者を生きる=回想(4)超高級ホテルでの投資セミナー

私が2006年1月18日に日本橋マンダリン・ホテルで開催されたBRICs通貨に連動した投資信託をテーマにしたセミナーに参加したのは、当時ホットな話題であったBRICsの経済動向を専門家から聞けるまたとないチャンスであり、かつ、あの超高級なマンダリン…

後期高齢者を生きる=回想(3)2005年頃の「資産運用セミナー」風景 

定年退職後の2005年頃は時々資産運用セミナーに足を運んだ。通常は、当時私が口座を開設していた外資系銀行が主催するもので、その銀行が取り扱っている金融商品の中から海外の投資信託会社のアナリストを招いて、投資対象国の経済情勢と投資家のリスク…

後期高齢者を生きる=回想(2)浮かれ気分の大火傷

2005年12月8日の慌ただしい年末気分の中、東京駅八重洲地下街の携帯電話のNOKIAの会社で用事を終え、地上に出て八重洲ブックセンターに向かっていると、近くの証券会社のウインドウに人だかりがしている。 見ると真っ赤に点滅する株価ボード、そ…

後期高齢者を生きる=回想(1)『崖っぷち親子家計』

『崖っぷち親子家計』、何とも凄まじいタイトルですが、これは、私が2007年6月27日に当時JR田町駅近くの「女性と仕事の未来館」のライブラリーで手にした「日経ビジネス」の特集記事のタイトルです。そして、後に続くサブタイトルは「ボーナス増で…

後期高齢者を生きる=古希から5年

5年前に70歳の誕生日を迎えた時は二つの女子会から古希祝いの花束をプレゼントされた。 二つの女子会とも私を含めて4人の構成で、一つは会社で長い間親しくつきあってきた年下の同僚たち、もう一つは広報業務という仕事を通して知り合い、頻回に顔を合わ…

後期高齢者を生きる=「空蝉モード」

この1カ月近くボンヤリする時間が増えた。 椅子に座って机の上に足を乗せ、あるいはクッションに身を沈め、30分でも1時間でもそのままの状態でいるのが心地良い。名付けて「空蝉モード」。 私は会社員時代の40年間、その後の定年退職からの15年間、…

後期高齢者を生きる=ある下山のイメージ

75歳の誕生日を迎えて後期高齢者入りをしたのを機に、そろそろ「下山のシナリオ」を描かなくては、と、思い始めていたところ、下山をイメージさせるある経済週刊誌の記事を思い出した。 時季も詳細もはっきりと思い出せないが、JR大船駅前のマンション建…

後期高齢者を生きる=登り階段よりも下り階段の方が楽か?

山や階段をイメージしてほしい。 下りだからと行って身体への負担が軽くなるわけではない。とりわけ股関節や膝関節が弱くなる中高年層にとっては下りもきつい。そして日本の人口構成はまさに中高年層が大きな比率を占めているのだ。 ところが公共交通機関に…

後期高齢者を生きる=下り坂に向かって

この5月で75歳を迎えた。紛れもない後期高齢者だ。これからの日々は「人生の下り坂に向かっている」と思って暮らすことに。

閑居の窓から=我が家の震度可視化装置

25年ほど前に購入した中古マンションの部屋の天井からぶら下がっていた吊るし電灯。入居以来この電灯を点けた回数は片手で数えるほどで、いわば無用の長物。 ところが、この無用の長物が存在感を発揮する時がある。それは地震発生時。 地震発生を知らせて…

閑居の窓から=「クリムト展」と少年

混雑を避けてGW直前に東京都美術館で開催中の「クリムト展」を観に行った。 1995年にウィーンの美術館でクリムトの作品を観た時は、金ピカ装飾の退廃画家の印象しか残らなかったが、今回、作品群をじっくり眺めて、「曲線の名手」、「極彩色遣いの名手…

閑居の窓から=高学歴と低賃金

今から15年ほど前になるが、私は定年退職直後に「定年記念」と称してハーバード大学サマースクールの英語プログラムに参加した。 還暦を迎えて、体力・集中力・記憶力の衰えを著しく痛感する私が、世界から集まったやる気満々の子どもや孫に近い世代と机を…

閑居の窓から=オーバードクターだからなあ!

今から40年近く前の話だが、私よりかなり若い元の同僚からの、当時取締役を務めていた上司に挨拶に伺いたいとの電話を私が取り次いだ。 彼女は大きな総合病院のしかるべき地位にいた医師の娘で、結婚前の社会勉強としてお勤めをするという、当時の表現で言…

閑居の窓から=路線バスの光景(7)ありがとうございました!

住宅街を縫うように運行する路線バスに乗った時、母親と一緒に乗っていたランドセル姿の小学校低学年の男の子が、よく通る声で「ありがとうございました~!」と運転手に声をかけて降りて行った。 その1週間後に同じ路線のバスに乗った時は、中年の女性が「…

閑居の窓から=路線バスの光景(6)シニョンの襟足が初々しい女子学生

時々、バスの中で見かける二人の女子学生。共に小学校高学年と思える彼女達は、揃って前髪をあげて後頭部で小さなシニョンに纏めていた。 おそらく、彼女たちの母親が丹精込めて結ったシニョンあろうが、襟足が初々しい。 そんな彼女たちはバレエでも習って…

閑居の窓から=路線バスの光景(5)高齢化社会とバスの遅延

ある日、五反田駅から徒歩で品川に向かう途中、御殿山停車場で都合良くバスが近づいてきたので乗ることにした。 ところが、最前列でキャスター付きの買い物バッグを手にした60代後半に見える女性がバスに乗り込む際に「一台バスを間引いたのですか?」と運…

閑居の窓から=路線バスの光景(4)バスが広げる自立と自律と自由

路線バスは時に住宅街の狭い通りを縫うように走る。そんな住宅街のあるバス停から、ニット帽を被った高齢の男性が、手にした杖で身体を支えるようにして、乗降階段を一段、一段、踏みしめながらバスに乗ってきた。 片手が杖で塞がった不自由ななかで何とかパ…