後期高齢者を生きる=回想(7)私の日本株売買メモ(1984~1992)から

次の画像は昭和59年(1984)10月の株式投資デビューから平成4年(1992)までに私が売買した日本株58社の記録です(元号表記)。

 

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当時はエクセルどころか1996年にWindows搭載PCが登場する前なので、証券会社から渡された取引報告書を見ながら鉛筆で走り書きしたものですが、こうして改めて眺めてみると、自分が如何に「書き魔」であるかを再認識させられた次第。

 

下記は画像掲載の日本株をリストにしたもので()内は購入回数です。

 

三菱重工業(3)・昭和電工(2)・住友金属日本通運東京瓦斯(2)

飛島建設(2)・上組(2)・ニチレイ(4)・東洋ベアリング 

・椿本チェイン・近畿日本ツーリスト日本電気東芝(3)・三菱レイヨン

・日本エアーブレーキ・日本パーカライジング・昭和産業フジタ工業

・日立・王子製紙日本鋼管新日鉄・ナイガイ・清水建設トーメン

住友海上小野田セメント・石原建設・三洋電機・三菱油化 

丸藤シートパイル東洋埠頭・大成プレハブ(2)・中野組・明治製菓

石原産業・三協アルミニウム・関西ペイント・三菱電線・横浜ゴム 

ニチメン富士電機富士通(2)・大和リース・そごう・東洋紡績

・いすず自動車・川崎製鉄日本軽金属ファナック(2)・東洋インキ

・昭和電線・日本郵船(2)・三菱瓦斯化学・ダーバン・ワシノ製作所

東京電力(3)・阪急

 

このリストから透けて見えることは、当時株価が高すぎて私の手が届かなかった企業の株式は含まれていませんが、それでも三菱商事三井物産住友商事などの大商社株が見当らないことから「商社冬の時代」に直面していたことや、既に姿を消した会社、今思い出しても何の業種だったか思い出せない会社など、約30年のスパンで振り返っても産業構造の変化や企業の栄枯盛衰です。

 

後期高齢者を生きる=回想(6)株式投資デビューはバブルに向かって

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私の株式投資デビューは昭和59年(1984)10月30日に三菱重工株を@229円で千株買って翌年6月27日に@328円で売却して税・手数料を差し引いて9万円の売買益を得、さらに、同じ日に@229円で千株買った昭和電工株を2年後の6月1日に@420円で売却して売買益を18万円得るというビギナーズ・ラックを絵に描いたようなスタートだった。 

極め付きは、昭和60年(1985)7月11日に@331円で千株買った飛島建設株を翌月の8月5日に@420円で売って、1ヶ月も経ないで9万8千円の売買益を挙げた事だ。 

私の株式投資はこうして始まったのだが、当時の株式投資の最小単位は千株であったが、株価が安かったから千株単位でもボーナスで購入できたのであった。 

その後は、ボーナス毎に安値の株を購入し、ある程度値上がりした時点で売るというサイクルを作り上げて、国内外旅行費、ブランドの洋服やバッグ、神保町での古書買い、そして飲み代を稼ぎ出していた。 

私は親からの経済的な援助を断って20歳から賃貸住まいで自立し、そのうえ、残業が大嫌いで時間外手当も稼がなかったからこれは大いに助かった。 

しかし、こんな上手い話になったのは、1986年から1989年の間に日経平均株価が3倍になるという大上昇相場にたまたま遭遇したからであり、「株価が上がっているから乗り遅れると損」と焦って株式投資を始めていれば大火傷をしていたと思う。

 

そして平成元年(1989年)12月29日大納会終値日経平均株価は何と38,915円の最高値を記録したのであった。

 

後期高齢者を生きる=回想(5)「66 Ways to Save Money」とサブプライムローン危機

アメリカ国民は総じて先に楽しんで後で支払うというマインドが強く、サブプライムローン危機までは低貯蓄率と借金依存体質が指摘されていたが、2006年6月13日の日本経済新聞ではそれを裏付けるようにアメリカ人の借金依存度が深まっている状況を報じていた。 

 

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また、2004年以降の石油価格の高騰が車依存の高いアメリカ家計を直撃した事もあって、1999年にアメリカの消費者団体「コンシューマー・アクション」が作成した、66項目にわたる節約の手引「66 Ways to Save Money」サイトへのアクセスが急増していたとか。 
http://www.consumer-action.org/english/articles/66_ways_to_save_money_en/ 

 

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その「66 Ways to Save Money」は、 
・航空運賃、・新車及び中古車の購入と自動車保険の選択、

・生命保険や各種保険の選択、

・銀行口座の手数料比較とクレジットカードの使い方、

・住宅ローン、

・家電製品選びと省エネ、

・光熱費や電話代節約、

・食品や医薬品の購入、

・葬儀・埋葬費用、 
など、広い範囲に亘って詳細な節約のポイントが書かれていて、

 

○自動車ローンではこうすれば、貴方は契約期間中に数千ドル節約できる」

○住宅ローンでこうすれば、ローン期間に数万ドル節約できる

○食品購入でこうすれば一年で数百ドル節約できる

などと、節約金額が具体的にイメージできる表現をしていてなかなか説得力がある。 

さらに、

○住宅ローンでは頭金を多くして返済期間を短くする事が一番お金を節約できる

○「生命保険は少なくとも15年は継続する事を前提に選ぶべきで、数年で切り換えると2倍も費用がかかる

○自分の葬儀・埋葬費用は事前に葬儀サービス会社数社から安いところを選び、最小限必要な準備を自ら記録して、家族に渡しておくと不要な支出を防げ、家族も安心できる 
等と具体的で正に手取り足取りのアドバイスになっている。 

これを読んでつくづく感じたのは、節約も寝転んでいては出来ないということ。

情報収集や定期的な請求書や口座残高チェックなど、相当マメでないと節約も出来ない事は、これほど懇切丁寧な節約手引きサイトがあっても、サブプライムローン危機とそれに連なるリーマン・ショックを防げなかった事が裏付けている。

後期高齢者を生きる=回想(4)超高級ホテルでの投資セミナー

私が2006年1月18日に日本橋マンダリン・ホテルで開催されたBRICs通貨に連動した投資信託をテーマにしたセミナーに参加したのは、当時ホットな話題であったBRICsの経済動向を専門家から聞けるまたとないチャンスであり、かつ、あの超高級なマンダリン・ホテルを訪れる格好のチャンスという二つの動機からであった。

 

マンダリン・ホテルは煌びやかさが抑制されて、シックな豪華さを感じさせた。そして、従業員が良く訓練されているのか、マニュアルで動いているような硬さが見られない。クロークでコートとマフラーを預けて、セミナー会場に入る。広い宴会場はほぼ9割の入りで、一人で参加している30代から40代の女性が数人目に付いたが、大半の参加者は中高年からシルバー層であった。 

テーブルには当日の資料とともに、乳白色の華奢な朝顔形のカップ・ソーサーとお揃いの四角いプレートに、ミルク・バター・チョコレートがタップリのクッキーが3枚セットされており、私が着席すると、すかさず女性スタッフがコーヒーを注いでくれた。つまり、豪華な雰囲気で投資商品説明に耳を傾けるという舞台設定である。

しかし、これらの豪華な舞台設定の費用は投資商品販売価格の他に顧客が支払う販売手数料(当時は投資商品販売価格の3%+消費税)から賄われている。

 

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その投資商品の仕組みは、ドル建てでブラジル、ロシア、インド、中国の通貨にそれぞれ25%投資し、3年後に元金と4カ国通貨の平均上昇率分の収益が償還され、仮に償還時に通貨が大幅に下落しても、ドル建ての元金は保証されるというものであったが、政治のカントリーリスクや為替リスク、エネルギー問題、社会の不安材料などを考えると、なかなか踏み出すのは難しいことも事実で、商品説明の後に退席する人がかなり目立った。

 

私の場合は、申し込み単位が3万米ドル以上という明らかに富裕層を対象としているのが分かってさっさと降りてしまったが、これからの投資は先進諸国だけでなく、東欧、アジア、BRICsを含めた世界規模で考慮する必要があるのというのが分かって勉強になった。 

セミナーを終えた後で穏やかな日和の日本橋界隈をぶらぶら歩いて東京駅方面に向かっていると「号外、号外」の大声がする。久しぶりの号外だなと思って一枚手に入れてみると東証売買全面停止の記事であった。 

 

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後期高齢者を生きる=回想(3)2005年頃の「資産運用セミナー」風景 

定年退職後の2005年頃は時々資産運用セミナーに足を運んだ。通常は、当時私が口座を開設していた外資系銀行が主催するもので、その銀行が取り扱っている金融商品の中から海外の投資信託会社のアナリストを招いて、投資対象国の経済情勢と投資家のリスク許容度に応じた投資信託の説明であった。 

 下は参加者に配布されたアメリカの投資信託会社提供のメモ差し

 

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その他には、東京証券取引所が個人株主の拡大を狙って催すセミナーで、サラリーマンやOLを対象に、初心者向け、中級者向けといった具合に、経験や知識のレベルに合わせて催したもので、当時の私は無料の「東京証券取引所メールマガジン」の購読者であったので、メールで送られる投資セミナー案内から選んで参加していた。 

それらのセミナーに参加して気づいたことは、海外の投資信託商品がテーマの場合は、定年を間近に控えた団塊の世代の夫婦連れが多く、彼らの表情からは、年金支給開始時の繰下げに伴う定年後の経済基盤を安定させるために、退職金を少しでも有利に運用したいとの意向が読み取れた。 

また、証券会社が主催する株式投資や債券投資のセミナーでは、年代を問わず働く女性の参加が目立ち、将来の年金制度への不安、仕事の先行きの不安などから、金利の低い銀行預金ではなく、株や債券へ投資してお金に稼いで貰うことで、老後生活に備えたいという意識が彼女達から感じられた。

 

そんな中で特に印象に残っているのは、ドイツ企業が日本の個人株主の獲得を目的とした、ドイツ商工会議所と東京証券取引所が共催した投資家向け説明会で、ドイツ銀行フォルクスワーゲンシーメンスダイムラーベンツといった錚々たる企業の幹部が、それぞれの成長目標を掲げた方針を投資家に説明したもので、当時のドイツ企業がポーランドハンガリーチェコなどの東欧進出に焦点を充てていることが分かった。 
また、私にとっては、ドイツなまり英語のヒアリングの練習にもなった。 

左は参加者に配布されたドイツ銀行提供の小銭入れ・メモパッド・西洋風仁丹の3店セット、右はフォルクスワーゲン社提供のゴルフボール

 

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あれから15年、この3年後の2008年に世界経済を襲ったリーマンショックで壊滅的な打撃を受けたドイツ銀行は今もリストラの真っ最中、その他の企業も含めてドイツ経済そのものが思わしくないようだ。

後期高齢者を生きる=回想(2)浮かれ気分の大火傷

2005年12月8日の慌ただしい年末気分の中、東京駅八重洲地下街の携帯電話のNOKIAの会社で用事を終え、地上に出て八重洲ブックセンターに向かっていると、近くの証券会社のウインドウに人だかりがしている。

 

見ると真っ赤に点滅する株価ボード、そして店内から勢いよく流れるベニーグッドマンの「シング、シング、シング、シング」のリズム、まるで、パチンコ屋の軍艦マーチの乗りだ。 

 

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あの、バブルの時代にも見なかった陽気な光景に、これも数年ぶりの株高とかの浮かれ気分か。巷の景気の良い儲け話に乗り遅れまいと急いで参入して、火傷をする人が出そうだなと思っていたところ、

 

翌日の朝刊によると、みずほ証券の担当者がジェイコム社株を「61万円の指値で1株売り」とすべき注文を「指値1円で61万株売り」とコンピュータで誤発注してストップ安になり、日経平均株価を301円安まで引きおろした挙句、自らも多額の損失を蒙る事になったとか。 

ホント、浮かれ気分は大火傷の元です。 

 

後期高齢者を生きる=回想(1)『崖っぷち親子家計』

『崖っぷち親子家計』、何とも凄まじいタイトルですが、これは、私が2007年6月27日に当時JR田町駅近くの「女性と仕事の未来館」のライブラリーで手にした「日経ビジネス」の特集記事のタイトルです。そして、後に続くサブタイトルは「ボーナス増でも喜べぬワケ」でした。

 

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この特集記事で私が衝撃を受けたのは次の2点です

 

1.30代の世帯の約4分の1が親から何らかの援助を受けていた事で、その代表的な例として次の二つが挙げられていました。

 

(例1)一部上場企業に勤務する39歳の中間管理職男性の世帯。

この例の男性の年収は570万円で、パートの妻の年収80万円と合わせて650万円(当時の30代の世帯平均年収は657万円)になるが、二人の子供の教育費が重くのしかかり近くに住む親から毎月2万円の援助を受けている。

 

(例2)36歳の運送会社勤務の男性の世帯。

この例の男性とパート勤務の妻の収入を合わせた月収は24万円で、63歳の母親のパート給料15万円に父親の年金7万円を合算して住宅ローンを返済する事がやっと可能な状態であったが、収入の柱であった母親が脳梗塞で倒れて要介護状態に陥った。

 

2.あるシンクタンクの調査結果によると、平均的な65歳以上の世帯では、毎月4万5千円の不足分の他に年間の臨時支出30万円を預貯金から取り崩しており、余命20年として1680万円の蓄えが必要になるが、家計実態を見る限り、65歳以上の世帯の半数が底をつく可能性があると指摘している。

 

強調しておきたいのは、この状態は2008年のリーマンショックに見舞われる前の事だと云うことです。

 

このところ、「老後の生活費は2千万円不足する」とした金融庁の報告書で国会も世間も大騒ぎですが、2007年時点で既に深刻な実態は進行していたのですから、私としては、今更大騒ぎするよりも現実に立脚した対策に一日も早く着手してほしいと思います。

 

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当時JR田町駅近くにあった「女性と仕事の未来館